ふじみ野通信

ふじみ野通信9 「幸福」の尺度

(1) 社会保障制度と生存年齢 

 日本が世界の長寿国になったのは、何年か前のことだと思うが、其れが或いは最も進んだ社会保障制度を持った国であるかもしれない事を意味するとは、正直な話思わなかった。もちろん、生きている内に人間が幸福であったか、不幸であったかは多分言うことができないだろう。わからないだろうということだが、其れは其れとして此処で考えてみたいと思ったのは、世界の求めてきた「国民の幸福の尺度」というのは「長寿」の事だったのではないか、ということである。国連の統計でも厚生労働省の統計でも出ていることだが、日本は年齢別構成ではもっとも老齢人口の多い国である。
 
 9年現在で、0~14才13%、15~64才64.3%、65才以上22.2%の人口構成である。

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 この統計をみて、今まで人は「困ったものだ、こんなに老人が多くては若い衆が一生懸命に働いても養うのに大変だ」。おまけに、この間発表された厚生労働省の統計によると医療費は75才以上で44%も使っている。此れでは日本は老人の国になってしまって、若者やこれから大人になっていく子ども達の未来はどうなっていくかわからない。

 社会保険に入って高い保険料を払っても将来は保証されないかもしれない。政府も財政赤字を垂れ流しているし、景気も悪い。企業も社会保険料の支払いに苦慮している。現に企業の健康保険組合は、財政難のために解散を余儀なくされているところが毎年のように数を増やしている。「自分の将来はそのようなものに依拠せずに、自分で貯蓄を運用したほうがよいのではないか」。

 だから保険料を支払わない、社会保険未加入の若者に増えているのは当然だ」みたいな論調がメディアにも随分と流れていて、いまでもある。

 此れは何を意味しているのか。我々は長寿であることに失望しているのだろうか。

 おとぎ話の時代から、おりんの時代から求めつづけてきた幸福の標が、多分、「長寿」である。そしてこの長寿である事に対応しているのが社会保障制度である。社会保障制度を受ける65才以上人口は、当然現役世代において相応の掛け金を支払わなければならないし、支払っているであろう。しかしながら、現役世代と受給世代の人口の格差、掛け金と予想配当率の乖離、経済成長と税収の乖離等、問題は尽きないであろう。

 例えば、1985年の「統計年鑑」によると、その時の65才以上人口の割合は10.1%であった。そして2010年には其れが18.8%になる、と予測している。1965年の実績では6.6%であったから、50年間に3倍弱になると予測したわけであるが、実際は09年で22.2%になっているから3倍超に増えている。65才以上人口を現役世代が養っている、という認識では4人の現役世代が1人の老人を養っていると数字になって、多分納得しがたい数字であろうし、そうであれば財政破綻は目に見えている話である。しかし此処にこそ、社会保障制度の意義があるともいえるであろう。

 つまり社会保障制度というのは、あくまでも国民の自主的な予測に基づいた計画と覚悟によって設計されているものでなければ成らない。其れでも、計画である限り絶えざる議論による修正が必要であろう。そして、その結果によってもたらされるのが現実の社会保障である。付け加えるなら、国民階制度であっても完璧ということはなかなかありえない、という認識も必要である。

 ただ、今はっきりしているのは、どのような事情があったにせよ、或いは議論があったにせよ今日の「長寿国」をもたらしたのは、日本の現在ある社会保障制度である事は、多分間違いのないことである。そして其れは自然になったわけでもないし、人々が求めつづけた結果やっと勝ち得たすぐれた成果であるというべきであろうと思う。

 アメリカのオバマ政権もこの社会保障制度のために、不評をかって中間選挙でも破れようとしているという。その理由は、此れ程の金を使って何者ともしれない、或いは貧困層にまで社会保障をする必要があるのか、ということであるらしい。
7年現在のアメリカの平均寿命は、日本の82.7才にたいして79.1才、9年の人口構成は
0~14才20.2%、15~64才67%、65才以上12.8%である。


 アメリカの健康保険の未加入者は15%、年金も含んでいるのかどうかはわからないが、アメリカの財政状態で――多分慢性的な赤字だと思うが、極めて難しい選択であることはまちがいない。しかし其れが平均寿命で3.6才、65才以上人口比で約10%の長寿をもたらすかもしれないとすればどうであろうか。「ブリタニカ国際百科」によれば、そもそも1900年現在のアメリカは、日本に比べて平均寿命で3才の長寿国だったのである。そしてその頃、自由の国アメリカは世界中の憧れの国だったのである。そういうアメリカに今、アメリカは別れを告げようとしているのだろうか。

(2) 旧友たち
 私は今年で74才になった。日本の社会保障制度も、そんなに前々からあったわけではなかった。大企業の社員比率が10%未満だった国である。体験的にいえば、第2次世界大戦の後、アメリカの影響と労働運動の高揚の中で労働分配率が指標となるようになって、やっと定着していったようである。私の義父などは昭和10年あたりから凸版印刷で働いていて、社員になって健康保険も入れるようになったのは昭和20年代も後半のことであったようである。詳しいことは、生きている内には聞けなかったが退職したのは30年代の終りで、ハッピーリタイヤーというイメージがあって、夫婦で旅行にでたり出来て、話しに聞く「老後」とはまったく違っていた。1992年に迎えた83才の天寿も穏やかなものであった。

 私は、昭和30年1,955年に宮城県立涌谷高校を卒業した。同級生は250名、そのうち男組は50名一クラスであった。全くとはいえないまでも就職のない時代で、卒業から5~7年はそれぞれに行方の定まらない状態で、このクラスメートの話しも20年か30年経ってから聞いた話である。

 結果的にいえば、50人の内、大学等に進学したもの15名、自衛隊に入ったもの19名、内専任自衛官になったもの4名、卒業と同時に地元の町村職員となったもの4名、家業を継いだもの3名、体技によってスカウトされたもの1名、縁故によって就職したもの8名である。そして自衛隊という経過、縁故就職という経過をえて最終的に地元と仙台辺りに止まって就職したもの25名、東京・大阪・名古屋、北海道とあるがその近辺で就職したもの25名である。

 このうち、現在までに地元・仙台組で4名、その他組で9名が亡くなっている。交通事故等を除けば、地元組1名、東京その他組8名は職場の定年を迎えた後に亡くなっている。地元を離れた組の32%である。全体では、まだ平均寿命に達していないが26%が亡くなっている勘定であるが、聞いているかぎり悲惨な例は少なかったようである。

 我々の世代は、確認した限りでは最終的な職場となったもの教員8名、町村4名、電気・電力・ガラス・機械・印刷・出版・国鉄・郵政・金融・ホテル・大学・自衛隊合わせて24名、自営業者11名、その他不明が3名である。これらの内、教員・役場・電気電力・自衛隊等は当然ながら社会保障は完備しているが、自営業は長い経営実績のある4社は確認できるがその他は不明の3名と共に実態は不明であるが、ほとんどが老齢にいたって多い少ないはあっても年金と健康保険に依拠して過ごしている。我々の親の世代にはなかったことである。

 以上述べた、体験的な事例は今日のデータの上ではどのような意味を持つのかはわからない。ただ、入社時から現在の社会保障制度の中で過ごした筈の我々の人生でも、それほど夢のような時代を過ごしたわけではないということである。それぞれに時代を覆う問題はあって、掛け金に苦労して議論したり迷ったりしてきたわけである。それでも、というのは国民階保険といいながら未だに、その恩恵に預かれないものもいるのが現実である。保証制度は、あくまでも保証制度であるから保証される為の掛け金がなくては成り立たない。今の65才以上も、それほど豊かな時代を生きてきたわけではないのである。

 現在、我々が集まれば年金と健康保険料の話題がでるのは仕方がないが、我々迎えている時代はどのような時代なのか、改めて話題としてあるべきだろうという気はしている。 次号以下にのべる、ヨーロッパ、アジア、アフリカとの比較検討はその為の縁とすべきものである。

2010.12.22 田沼 
  
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by esapp | 2010-12-22 11:55