ふじみ野通信

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ふじみ野通信12

(3)中国の「骨格」について
  中国は、その面積963.4万平方キロ、人口9年で13億6,920万人(台湾・香港・マカオを含む)、人口密度142人/平方キロの大国である。(9年)

 北から黒竜江省heilong jiangは、東北3省の北端である。北はアムール川を挟んでロシアのkhabarovskまで国境を接している。東はkhabarovskからウスリー川を国境としてダーネルチンスク迄、ダーネルチンスクからhunchumまではロシア国境である。極めて海の近くまで国境は伸びているが海にはいたらない、海岸線はロシア領から北朝鮮に続いている。Humchumからは北朝鮮との国境でdandongでKorea bayにいたる。

 黒竜江省と接して西のロシアとの国境線は内モンゴル自治区で有るが、そこに至るまでmanzhouli、heihe、khabarovsk等数カ所にboundary in disputeがある。

 内モンゴル自治区は、満州里manmzhuliからモンゴル共和国と国境を接して新疆ウイグル自治区xinjiangまで続いている。およそモンゴル共和国との国境線の3分の2は内モンゴル自治区との国境線であり、その余の3分の1は新疆ウイグル自治区との国境線につづいていく。モンゴルとの国境が終わると、わすかにロシア領と接しているが、新疆ウイグル自治区は更に西の国境にいたる。そして、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンと接して西の南端のパキスタンのカシミールにいたる。

 このカシミールから雲南yunnanまでは、カラコルムからつづく巨大なヒマラヤ山脈である。ここには、boundary claimed by indiaの地域が数カ所あって正確な国境が定まっていない所も有るが、ここから中国の南の国境になる。省はチベット自治区xizangとなり、国境はインド、ネパール、ブータン、そしてまたインドと接して、ミャンマーとわずかに接するあたり、gongshanの手前で雲南省yunnanである。
 
 そしてこのチベットと新疆ウイグル自治区と甘粛省gansuと四川省sichuanとに囲まれた山間の省が青海省qinghaiである。この青海省と四川省はいずれの外国とも接していない。

 雲南省は南の国境沿いにミャンマー、ラオス、ベトナムと接しているが海にはいたらない。雲南の次の南の国境をなしているのは、Guangxi広西チョワン族自治区である。広西チョワン族自治区はベトナムと国境を接して海にいたっている。トンキン湾である。

 つまり中国は、北、西、南と三方を自治区に囲まれた内側に、海に向って開かれている立地になっているわけである。経度にして98度から74度まで24度、実測にして約4488キロ、南北はアムール川の中ロ国境から海南省Hⅰnanまで、緯度にして18度から54度まで約3,950キロである。

 次に行政区にしたがって、省名と人口を紹介すると次の通りである。
北から「東北区」人口10,874万人(8年)
遼寧省lianning(人口4,315万人、人口密度296人)、吉林省jilin(人口2,734万人、人口密度146人)、黒竜江省heilongjiang(人口3,825万人、人口密度84人)   
「華北区」人口15,682万人(8年以下同じ)
北京市bejing(人口1,695万人、人口密度1,009人)、天津市tianjin(人口1,176万人、人口密度1,040人)、河北省hebei(人口6,989万人、人口密度372人)、山西省shanxi(人口3,411万人、人口密度218人)、内モンゴル自治区nsaimongol(人口2,414万人、人口密度20人)。
「華東区」人口38,241万人
上海市(人口1,888万人、人口密度2,977人)、江蘇省shanxi(人口7,677万人、人口密度748人)、浙江省zhejiang(5,120万人、人口密度503人)、安徽省anhui(人口6,135万人、人口密度439人)、福建省fujian(人口3,604万人、人口密度297人)、江西省jiangxi(人口4,400万人、人口密度264人)、山東省shandong(人口9,417万人、人口密度601人)。
「中南区」人口36,734万人
河南省henan(人口9,429万人、人口密度565人)、湖北省hubei(人口5,711万人、人口密度307人)、湖南省hunan(人口6,380万人、人口密度301人)、広東省guangdong(人口9,544万人、人口密度536人)、広西guangxiチョワン族自治区(人口4,816万人、人口密度204人)、海南省hainan(人口854人、人口密度252人)。
「西南区」人口19,597万人
重慶市chongqing(人口2,839万人、人口密度345人)、四川省sichuan(人口8,138万人、人口密度167人)、貴州省guizhou(人口3,793万人、人口密度215人)、雲南省yunan(人口4,543万人、人口密度115人)、チベット自治区tibet自治区(人口287万人、人口密度2人)。
「西北区」人口9,693万人
峡西省shaanxi(人口3,762万人、人口密度183人)、甘粛省guansu(人口2,628万人、人口密度58人)、青海省qinghai(人口554万人、人口密度8人)、寧夏ningxiaホイ族自治区(人口618万人、人口密度119人)、新疆xinjiangウイグル自治区(人口2,131万人、人口密度13人)
特別区 人口3,058万人
香港特別行政区hongkong(人口705万人、人口密度6,390人)
マカオ特別行政区macao(人口55.9万人、人口密度19,852人)
台湾taiwan(人口2,297万人、人口密度638人)

人口構成は、華北区     15,685万人 内自治区2,424万人
華東区   38,241万人
中南区   36,734万人  うち自治区  4,816万人
西南区   19,600万人  うち自治区   287万人
      西北区   9,693万人   うち自治区  2,749万人
      特別区   3,058万人
        8年合計  12億3,011万人  うち自治区1億2,563万人
       自治区以外11億447万人  自治区以外の面積523.8平方キロ
       聡人口密度 127.7人/平方キロ(8年) 
       自治区以外の人口密度 210.9人/平方キロ(8年) 
以上

2010.11.27 田沼

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by esapp | 2010-12-31 19:45

ふじみ野通信11 メディア・コンパス5

(1)「国」の形について
・抗争
 国家について考えてみたい。「幸福の尺度」を書きはじめてみて、その尺度が様々な「幸福」に向う諸制度によって形作られるにしても、その社会の成り立ちガ抜きがたい問題を提示しているのも間違いない。例えば、スウェーデンは高福祉国家であると言われるが、現在の制度がそうであるのは認められ得るが、日本と比べれば人口が違う、気候も違う、その成り立ちも違うから単純に比較することは出来ない。

 結局、現実的な制度は、そのときの現実的なその国の人々が何を求めているかというエネルギーによって、またそのエネルギーが集約されることに成功したときにはじめて可能になる。というふうな結論にならざるを得ない。平均所得が高いことだけが尺度でもありえないし、平均寿命が高いことだけでも尺度にはなりえない。少なくとも、集団の大きさということが大きなメルクマールとなる事も考え得る。

 そのように考えたときに、現実にある国家の不思議というのはどうしても解明してみたい。または解明とはいわないまでも考えてみたい。そうしないと、第二次世界大戦の後、世界のすべてが、はじめて平等に近い立場に立ったのに、例えば、ヨーロッパは7億人45カ国位が高所得を得て更に進んで国家集団になろうとしているのに、アフリカは未だに低所得に喘ぎ10億人ぐらいの国が53カ国ぐらいに別れて、しかもその53の国の中で更にいくつもの抗争をしている。

 抗争というのは、簡単に言えば国の姿に対して主張したい思いである。しかし、主張は主張者が何者かによって与えられて武器をともなうとすれば、単なる主張では終わらない。一国の独立の利害が、一国の範囲を超えていくことになる。例えば武器の製造技術も持たない国が、その主張のために武器を持てば、製造技術を持たない国の風土に反するであろう。武器を与える側には様々な利害があり得るであろうが、民族なり集団が独立をえようとすれば、そのフィールドの上でこそ議論はなされるべきである。その意味では、アフリカの将来の姿はまだわからない。

・大国「インド」の形
 それに対して、近代の欧米列強の植民地戦争の中で、植民地化されたり侵略されたりした大国、インドや中国はどうして昔のママに見える国の形をしているのであろうか。

 例えばインドは、英国の植民地の歴史であった歴史はムガール王朝時代の侵略から数えれば400年、うち直接支配時代であるインド帝国の時代は100年にも満たないであろうが、何故彼らは宗教も違い、言語も違う人々の集まりであるにすぎないあの広大なインド亜大陸を人々の意志によって集約されるべき一つの国、「インド」国と認識していたのであろうか。長い年月に渡る諸民族の流入の歴史からすれば、インド亜大陸は一つの国として統一していくのには、如何にも複雑な歴史をもっているように見える。

 1945年以後の国内の騒乱をえてバングラデッシュやバキスタンと分国する事にはなったが、当時、ガンジーやネールをあげるまでもなく、この大国をできるだけ一つの国にしたいという思いは強かったように思われる。独立にあたって、積極的に武器をとった戦争になることはなかったが、独立後はしばしば紛争している。しかし、国境問題にしても原子力開発競走にしても、何処か、かつてインド亜大陸の住人だったこの三国の紛争にはには近親憎悪に近いものが感じられる。

 もしかしたら、三国のそれぞれの国の方向に「インド亜大陸」の思い出が影を落としているのであろうか、とさえ思われるのである。説明によれば、この3国の独立、或いは分国の理念は宗教と言語と土地による区分であったようにいわれるが、宗教と言語の共通性のみで一国の政治経済は成り立ちにくいであろう。現に、あるバングラデッシュとインドとパキスタンの人口密度の較差をみても其れは明らかである。

 例えば、バングラデッシュの人口密度は1126人/平方キロである。人口密度の高いといわれる日本でも330人/平方キロである。しかも日本の人口は1億2千7百万人で一人当たりの国民所得は37,790㌦あるであるが、バングラデッシュは総人口1億6千万人で一人当たりの国民所得は07年で470㌦である。

 インドは人口密度364.4人/平方キロ、総人口11億9,800万人、国民一人当たりの所得950㌦である。パキスタンは人口密度227人/平方キロ、総人口1億8,080万人、国民一人当たり所得860㌦である。これを3国が分国する前の総計で考えてみると、総人口が15億3,800万人、人口密度363.9人/平方キロ、国民総所得が1兆2,861億ドル一人当たりになおして836.2ドルである。

 このような国は他に例をみないが、総人口において世界一、人口密度においても成熟期にある国ということが見えてくる。だとすれば、後の目標は国民所得の増加という事に尽きるであろうが。 

・「中国」の形
 また中国は、確かに10年にわたる国民党軍と紅軍の国内戦争はあったが、次第に国内の世論が外国からの干渉もいれて集約されて形勢は定まっていったようである。結局、国民党軍は大陸から追い出されて台湾に閉じ込められる結果になったが、この台湾政府も大陸の中国政府も合わせて「中国だ」という主張は今も変わらないように見えるのである。

 しかも、現代のこの「中国」の形というのは、何時、誰によって創られたイメージであったのだろうか。少なくとも、この抗争した二つの勢力には統一すべき「中国」或いは「中華」のイメージがあったように思われるのである。

 漢にまでさかのぼらなくとも、わが国の遣隋使を派遣した頃の「中国」はモンゴルもチベットも入らない。だが、唐になると西はサマルカンドを越えてアラル海まてその領土を広げ、南はベトナムまでいたっているが、ここでもチベットや雲南は含まれていない。この7世紀の中国は世界に冠たる文明国であった。隋は科挙の制を入れて人材の確保に務め、均田制による財政の確立を計った。しかし、高句麗遠征に失敗すると代わって登場するのが唐である。唐は隋の科挙や均田制を引き継いで租庸調を加えて兵農一致の府兵制を基礎に置く律令制を行った。この唐では国際色が豊かとなり詩の李白、杜甫、白居易等が生まれ、書の顔真卿、仏教の玄奘、山水画の碁道玄らが登場して、首都長安や広州・揚州にはイランやアラブの商人などが盛んに往来した。宗教ではゾロアスター教、マニ教、キリスト教、イスラム教等がはいって、盛んに信仰された。

 唐の時代が終わると、中国は再び分裂状態になる。唐時代を支えた貴族階級が衰えて新興の地主階級が登場する。そして宋がおこるが異民族の攻勢に押されて南宋となる。長江下流域の開発を進めて栄えるが、領土的には准河の南から広州まで、雲南・チベットを避けて長江の流域のみに限定された。13世紀にモンゴル帝国によって亡ぼされる。
 
 13世紀は元の時代で、領土のもっとも大きくなった時代である。西はヨーロッパまで、北はバイカル湖まで、南はミャンマー、チベットはもちろんコンスタンチノーブルの地中海までいたっている。しかし、元の支配は14世紀まで続くが13世紀の終りには、ジンギスハンはその息子達がそれぞれその占領地を分国して独立させたためにモンゴル帝国は事実上分裂することになった。

 次に登場するのが明である。明は14世紀の終りから17世紀半ばまで、北はウラジオストックにいたり南はベトナムにいたったが西はトルフアンにもいたらず、チベット、モンゴルも支配の外であったが、朱子学を採用して科挙を確立し、新しい律令を定めて皇帝専制の政治体制の基礎を創った。17世紀になって明に代わったのが清朝である。清は台湾を平定し、南は広州、雲南迄、北はウラジオストックからアルグン川迄、西は青海までを直轄領とし、其れを取り囲むようにチベット、モンゴルからバイカル湖、トムスク、イリ、カシュガルを藩部として間接統治した。朝鮮、ベトナム、タイ、ミャンマー、ネパールを朝貢国とした。
 
 清朝は、20世紀のはじめの辛亥革命によって滅びるのであるが、今日の中国の領土的イメージはもっとも近いかもしれない。1689年のロシアとのネルチンスク条約で確保したアムール川流域を除くと、もっとも今日の中国に近い。チベット自治区も新疆ウイグル自治区も内モンゴル自治区も寧夏ホイ族自治区も含まれている。何故、これらの自治区が清朝に於いて直轄領ではなく藩部だったのかは明らかでないが、少なくとも清朝に取って中華の中心ではなかったのであったろう。

 もちろん、今日の中国にとって外モンゴルはモンゴル国として独立国となり、ベトナム、タイ、ミャンマー、ネパール、朝鮮等の朝貢国もそれぞれに独立国として時代の波に乗っており、国内の各自治区も発展している。広西チョワン族自治区にいたっては、人口4800万人を数え、GMの製造工場等の外国企業の進出も多い湾岸地帯を構成している。

 また、これらの地域が地勢学的に「中国」との関係が変わっていくわけではないであろうが、これからの歴史においても変わる可能性があるようには見えない。

 つまりいいたいのは、この二つの大国はいずれも20世紀の半ばの世界革命期には、侵略される側であったにもかかわらずいまだにその姿を崩さないでいるのは何故か。別の言い方をすれば、現代社会の中でこの二つの大国は我々にとってどのような現実であるのかを感じてみたかったのである。

 建前上は、そういう事もあるが、この2010年の現在では、日本の企業世界の仕事がアメリカ、ヨーロッパから反転して、東南アジアはもちろん中国、インドからアフリカに及ぼうとしているのに、我々の認識は余りにも古い。あるいは企業情報は知らないが、例えば彼らが、と言うのはわが国の「会社」がであるが、「中国では」と言うときにどのような中国をイメージしているか。「インドは」と言うときにどのようなインドをイメージしているのか、はなはだ怪しいと思えるからである。それほど我々はこの大国に対して現実的な認識も情報ももっていないといえるからである。

 企業会社もおそらく、国際弁護士に保証された商売相手のイメージしかないのではないだろうか。それでいいと、或いは信じているのかもしれない。
 
 しかしそれでは其れが良きにつけ悪しきにつけ、我々はその企業活動によってもたらされた結果について判断する情報が与えられる事が出来ないであろう。企業活動つまり経済活動は、企業の認識はともあれいずれ我々生活者に関わってくる事は紛れもない事であるから、経済新聞の半端な海外知識のみでは多分、推し量る事は難しい。

(2)インドの「骨格」について
インドの国土は、大きくはネパール、ブータン等を含むカラコルムから続くヒマラヤ山脈によって中国と区分されている。極端にいえば、カラコルムを源流として南下してアラビア海に注ぐのがインダス川であり、その流域はパキスタンである。同じくカラコルムからヒマラヤ山脈にそって東に流れ下っていくもう一つの大河がガンジス川で、河口はバングラデッシュのダッカである。ガンジス川の蜘蛛の巣のような支流を含めた流域がインドの中心である。インドは、更にこのガンジスの流域の南に二つの小山脈を挟んで広大なデカン高原を抱えている。

 ガンジス川は、カラコルムのjammu-kashimir州(人口771万8700人)、himachal-pradesh州(人口511万1079人)、デリーと隣接するutter pradesh州(1億3903万1130人)、biher州(人口8633万8853人)、west bengal州(6798万2732人)、と東遷してバングラデッシュのダッカに注ぐ。ここまでの流域がインドの中心である。

 ガンジス川は、バングラデッシュのダッカの注ぎ口の上で左右に別れ、左は先のカラコルムに向う流れであり、右はブータンに向って北上して突き当たったところがassam州(人口2229万4562人)、そこから南下してmeghalaya州(人口171万人)、nagaland州(人口121万人)、更に南下してミャンマーとの国境沿いにmanipur州(182万人)、tripura州(人口274万人)、mizoram州(68万人)と続いてバングラデッシュの東側の海に注ぐ程南下する。

 一方、中心部のインドはパキスタンとの国境沿いにpunjub州(2019万人)、haryana州(人口1631万7715人)、インドで唯一の沙漠の国立公園のあるrajasthan州(人口4388万640人)、gujarat州(人口4117万4343人)と下ってアラビア海に至る。gujaratの東がインドの丁度中心でmadhya pradesh州(人口6613万5862人)である。南に高さはさほどでもないが、南と北をわけるふたつの山脈、vindhya山脈とsatopura山脈を控えている。それを越えると南はデカン高原である。

 デカン高原は、東西に海岸沿いの長い山塊を抱えている。西のwestern ghats沿いに北から見ていくとbombyのあるmaharashutra州(人口7874万8215人)、goa(人口116万人)、と隣接するbangaloreのあるkarnataka州(人口4480万6468人)、突端の西kerala州(人口2903万2828人)。
東はeastern ghats沿いにbihar州の下から、orissa州(人口3151万2070人)、hyderabadのあるandhra pradesh州(6633万4339人)、そしてデカン高原の南端tamil-nadu州(5563万8318人)である。この二つの流れが合わさった先の海はインド洋である

 此れを北インド、東インド、中央インド、南インドに仮に区分けして人口を出してみると次の通りである。
      北インド         3,061,82,494人.
      東インド          30,454,562人
      中央インド        128,177,075人
      南インド         307,232,238人
       合計          772,046,369人.
           その他直轄地  113,888,777.

 この人口統計は、1,992年の推計で総計8億8,960万3,000人ある。 北インドの仕切りは、カシミールからアッサムの手前まで。アッサムからバングラデッシュを囲むようなミャンマーの国境までを東インド、カシミールの南から西ベンガル迄中央インド、南インドはすべてデカン高原の人口である。比べてみると、南インドの発展が大きいようであるが詳細はわからない。

 国連統計によると、2,009年の総人口は11億9,800万人である。
平均寿命は   2,007年    男子  62才    女子  64.9才
          1,991年        58.1才       59.1才 
          1,951年        32.45才       31.66才 
資料「ブリタニカ国際大百科事典」より

2010.11.20 田沼

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by esapp | 2010-12-31 19:42

ふじみ野通信10 2010年の暮れ

1.日本企業の海外進出
 2008年のリーマンショック以来、ただひたすら経済混乱に絶える以外なかったような日本企業は、年余をおかず動き出して、中国・東南アジアに向けて進出しだしたように思われる。今年の暮れは少なくとも上場企業においては、少数の例外を除いては好況に恵まれ、今後の展望も中国・アジアにむけて開かれた様である。

 年末の各業界のボーナス回答率を見ると、其れもうかがわれるようである。

 前年比で見ると、製造業で2.3%のプラス、非製造業でマイナス1.23%の伸びである。二桁の伸びを記録しているのが、繊維、精密機械、倉庫・運輸。5%以上が化学、ゴム、機械、電機、自動車・部品、水産、ホテル・旅行、情報・ソフト。もちろん日本の成長率が数%であることは、全体にも影響を及ぼしている。例えば、鉄鋼は26%の減少、レジャー・マスコミ関連が10%の減少である。その他業種で減少の目立つのは、国内需要依存型の産業で、百貨店・スーパー、その他の小売業、鉄道・バス、陸運、外食産業等である。総じていえば、海外進出におくれた業種、或いは内需型の業種がマイナス、その他は大小の差はあるが前年を上回る結果になっている。

 今年の海外進出というのは、もちろん欧米ではない。

 最近の中国の発表によると、中国への進出している日本企業は2万6千社に及ぶという。しかも、進出企業アンケートによると今中国で進んでいる賃上げ等の問題を考えても70%は、今後にそれ以上の成長を期待している。売上は150%と高い伸びを示しているが、収益率の低いインドにも1,000社を越える企業進出がみられるという。タイ・マレーシア・インドネシア・シンガポール等の東南アジアはもちろん、パキスタン、バングラデッシュ等の南アジア諸国、これから成長の期待されるカザフスタン・キルギスタン・トルクメニスタン等の北東アジアへの進出も良く聞かれるところである。
 
 しかしながら、このアジア進出は国内の輸出とか、内需に結びついているわけではないようである。アジア諸国で生産して生産国内需をみたし更に外国へ輸出するという構図で、この好況は今まで味わったことのないほど、日本の国内景気とは関わりが薄い。日本国に住んでいる我々には、この好況はピンとこない。つまり、現在好況は、それらの会社が内需には最早期待できない状況から、リーマンショック以降に活性化したアジアへ、アジアへと進出していって得た成果なのである。

2.リーマンショック後の世界経済
 国際取引所連盟(WFE)の調べによると、リーマンショックのおこる前、2007年暮れの世界の株式の時価総額は約58兆ドル。それがリーマンショックの伝えられた2008年9月には33兆ドル、底値になった2008年の暮れには29兆ドルまで下がったのである。58兆ドルから29兆ドルまで、株式時価総額が半減するのに2008年の約1年しかかからなかった訳である。

 株式の時価総額は、そのまま経済活動の規模の縮小を意味していたことは体験的に容易に想像できるが、世界規模となった場合の詳細は不明である。株式の時価が経済の流動性そのものとイコールであるという事は出来ないであろうが、経済活動が一時的にしろ停滞するほどの衝撃であった事はまちがいない。その時、下がりつづける株価を見て投資家はどのように次の「世界」を考えたのであろうか。

 少なくとも、投資すべき先がアメリカやヨーロッパではなくなった、有効な投資先はアジアや中南米の発展途上国に移ったのではないか、と考えたのではなかったろうか。我々が報道される企業の決算情報から見る限りでは、2009年は製造業に受注が集まり始めているが、それが一時的なものか、長期的な一つの流れになるものか、判断できかねるうちに生産拡大にはいっていったような印象を受けるのである。2009年は、上海や香港、ムンバイ等のアジアの株式市場が盛況を来していたが、日本の株式市場はそれに連動していないし、日本企業は何か及び腰に求められる需要に対応していたように思われるのである。

 もちろん、リーマンショックからの回復には日本もアメリカもヨーロッパも、国の財政を出動させて経済活動の促進をはかったのであったが、それでもアメリカやヨーロッパの経済不安はなかなか去らない。アメリカはAIGを救済して史上かつてないほどの金融緩和をしたし、ついにはFRBが2011年までに6,000億ドルの米国債を買い上げると言うありさまで来ている。日本も、一時は東京三菱銀行を除いて全銀行が国有化しかねないほどの公的資金を金融機関にいれているし、日銀の政策金利が零%という事態である。また、EUはギリシャやアイルランドでおこった財政危機の不安を未だに払拭しきれてない状態である。

 しかし、世界の株式の時価総額は2009年の1月を底に徐々に回復して、2010年の10月時点では遂に52兆ドルまで回復している。日本の株価もようやく1万円を上下するようになったし、アメリカの株式も1万ドルを越えるようになっているが、問題はその中身がどうなっているかである。先進国の株式市場の成長率よりも、はるかに途上国の株式市場の成長率のほうが高い筈であるから、52兆ドルの中身は大きく変わっているのではないかと思われるのである。そうなれば、当然企業のグローバル化は更に進まざるをえない。

 しかも今日の世界の流動性は明らかに過剰である。IMFの推計によると、2000年を100としたときの世界の経済成長は約190で二倍にも達していないが、ドルの流通量は3.5倍を超えている。これはそのまま発展途上国のインフレ要因になり得る。

 中国やインド等は、インフレリスクを放置できずに利上げに動き始めたが、利上げは更に投機マネーを呼び込み、自国の通貨高に進みかねない。輸出企業の競争力を保つためにドル買いの介入を増やすと、金融市場に自国通貨をバラマキ経済を過度に刺激してしまうと言うジレンマもある。このジレンマを解消しようとして、例えばタイやブラジル等のように資本規制すれば、何時投機マネーの反転が起こって自国の通貨危機がこないとも限らないと言う不安要素が生まれる、というわけである。

3.「世界経済の骨格」について
 例えば、リーマンショック後の日本経済の立ち直りには財政の力もあったであろうが、何よりもリーマンショック後に生じた発展途上国需要に答えられる生産技術と生産力を日本の企業がもっていた事が何より大きな要因だったのではないだろうか。そう考えると、何となく腑に落ちる。企業はそうではないかもしれないが、人も国も先進国の例を見るまでもなく、限りなく富と豊かさを求めるものだとは思えない。その国の文化と国土の広さと、民族にまつわる習俗と生涯にわたるささえを与える国、社会であれば人々は満足するのではないだろうか。

 もともと各国の経済の規模や厚みには、歴史的な事情が影響している。高い国民所得を得ている国は、第一に国民の数が多くなければならないであろう。少ない数の国民が何処よりも大きい経済規模を持つのは、いずれ平準化されざるをえない逃れ歴史である。余所の国の事をいいたくはないが、ヨーロッパの個人所得の高い小国は、それなりの寂しい事情があると言えるであろう。

 世界で、もっとも大きな国土をもっている国はロシアかもしれない。しかし、ロシアは広い不毛のタイガーやツンドラをもっている。たまたまそこから石油や鉱物資源がでてきたところで、巨大な富を国民にもたらす事は出来ない。多分、国としては、その資源をあきないながら暮らしていくしかないであろうからである。

 今、我々が考えなければならないのは、この地球上で限りなくに近いほど人口は増えつづけていくであろうという事である。その時、途上国もアフリカも含めてどのようにするか、どのように考えるべきであろうかという事である。人口でいえば中国である。インドであるが、地球の問題としては人口密度であろう。
 
 例えば、バングラデッシュにどうして1平方キロに1,126人も一人当たり470ドルの国民所得で16,000万人も集まって住んでいなければならないのだろうか。アメリカは32.6人が一人当たり46,000ドルの所得で32,000万人も集まって住んでいる。オーストラリアは2.7人が35,750ドルの所得で2,200万人が集まって住んでいる。ちなみに日本は336.4人が一人当たり37,790ドルの所得で12,750万人が集まって住んでいる。

 これは、一体どう考えるべき問題なのであろうか。

2010.12.27 田沼

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by esapp | 2010-12-27 17:40

ふじみ野通信9 「幸福」の尺度

(1) 社会保障制度と生存年齢 

 日本が世界の長寿国になったのは、何年か前のことだと思うが、其れが或いは最も進んだ社会保障制度を持った国であるかもしれない事を意味するとは、正直な話思わなかった。もちろん、生きている内に人間が幸福であったか、不幸であったかは多分言うことができないだろう。わからないだろうということだが、其れは其れとして此処で考えてみたいと思ったのは、世界の求めてきた「国民の幸福の尺度」というのは「長寿」の事だったのではないか、ということである。国連の統計でも厚生労働省の統計でも出ていることだが、日本は年齢別構成ではもっとも老齢人口の多い国である。
 
 9年現在で、0~14才13%、15~64才64.3%、65才以上22.2%の人口構成である。

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 この統計をみて、今まで人は「困ったものだ、こんなに老人が多くては若い衆が一生懸命に働いても養うのに大変だ」。おまけに、この間発表された厚生労働省の統計によると医療費は75才以上で44%も使っている。此れでは日本は老人の国になってしまって、若者やこれから大人になっていく子ども達の未来はどうなっていくかわからない。

 社会保険に入って高い保険料を払っても将来は保証されないかもしれない。政府も財政赤字を垂れ流しているし、景気も悪い。企業も社会保険料の支払いに苦慮している。現に企業の健康保険組合は、財政難のために解散を余儀なくされているところが毎年のように数を増やしている。「自分の将来はそのようなものに依拠せずに、自分で貯蓄を運用したほうがよいのではないか」。

 だから保険料を支払わない、社会保険未加入の若者に増えているのは当然だ」みたいな論調がメディアにも随分と流れていて、いまでもある。

 此れは何を意味しているのか。我々は長寿であることに失望しているのだろうか。

 おとぎ話の時代から、おりんの時代から求めつづけてきた幸福の標が、多分、「長寿」である。そしてこの長寿である事に対応しているのが社会保障制度である。社会保障制度を受ける65才以上人口は、当然現役世代において相応の掛け金を支払わなければならないし、支払っているであろう。しかしながら、現役世代と受給世代の人口の格差、掛け金と予想配当率の乖離、経済成長と税収の乖離等、問題は尽きないであろう。

 例えば、1985年の「統計年鑑」によると、その時の65才以上人口の割合は10.1%であった。そして2010年には其れが18.8%になる、と予測している。1965年の実績では6.6%であったから、50年間に3倍弱になると予測したわけであるが、実際は09年で22.2%になっているから3倍超に増えている。65才以上人口を現役世代が養っている、という認識では4人の現役世代が1人の老人を養っていると数字になって、多分納得しがたい数字であろうし、そうであれば財政破綻は目に見えている話である。しかし此処にこそ、社会保障制度の意義があるともいえるであろう。

 つまり社会保障制度というのは、あくまでも国民の自主的な予測に基づいた計画と覚悟によって設計されているものでなければ成らない。其れでも、計画である限り絶えざる議論による修正が必要であろう。そして、その結果によってもたらされるのが現実の社会保障である。付け加えるなら、国民階制度であっても完璧ということはなかなかありえない、という認識も必要である。

 ただ、今はっきりしているのは、どのような事情があったにせよ、或いは議論があったにせよ今日の「長寿国」をもたらしたのは、日本の現在ある社会保障制度である事は、多分間違いのないことである。そして其れは自然になったわけでもないし、人々が求めつづけた結果やっと勝ち得たすぐれた成果であるというべきであろうと思う。

 アメリカのオバマ政権もこの社会保障制度のために、不評をかって中間選挙でも破れようとしているという。その理由は、此れ程の金を使って何者ともしれない、或いは貧困層にまで社会保障をする必要があるのか、ということであるらしい。
7年現在のアメリカの平均寿命は、日本の82.7才にたいして79.1才、9年の人口構成は
0~14才20.2%、15~64才67%、65才以上12.8%である。


 アメリカの健康保険の未加入者は15%、年金も含んでいるのかどうかはわからないが、アメリカの財政状態で――多分慢性的な赤字だと思うが、極めて難しい選択であることはまちがいない。しかし其れが平均寿命で3.6才、65才以上人口比で約10%の長寿をもたらすかもしれないとすればどうであろうか。「ブリタニカ国際百科」によれば、そもそも1900年現在のアメリカは、日本に比べて平均寿命で3才の長寿国だったのである。そしてその頃、自由の国アメリカは世界中の憧れの国だったのである。そういうアメリカに今、アメリカは別れを告げようとしているのだろうか。

(2) 旧友たち
 私は今年で74才になった。日本の社会保障制度も、そんなに前々からあったわけではなかった。大企業の社員比率が10%未満だった国である。体験的にいえば、第2次世界大戦の後、アメリカの影響と労働運動の高揚の中で労働分配率が指標となるようになって、やっと定着していったようである。私の義父などは昭和10年あたりから凸版印刷で働いていて、社員になって健康保険も入れるようになったのは昭和20年代も後半のことであったようである。詳しいことは、生きている内には聞けなかったが退職したのは30年代の終りで、ハッピーリタイヤーというイメージがあって、夫婦で旅行にでたり出来て、話しに聞く「老後」とはまったく違っていた。1992年に迎えた83才の天寿も穏やかなものであった。

 私は、昭和30年1,955年に宮城県立涌谷高校を卒業した。同級生は250名、そのうち男組は50名一クラスであった。全くとはいえないまでも就職のない時代で、卒業から5~7年はそれぞれに行方の定まらない状態で、このクラスメートの話しも20年か30年経ってから聞いた話である。

 結果的にいえば、50人の内、大学等に進学したもの15名、自衛隊に入ったもの19名、内専任自衛官になったもの4名、卒業と同時に地元の町村職員となったもの4名、家業を継いだもの3名、体技によってスカウトされたもの1名、縁故によって就職したもの8名である。そして自衛隊という経過、縁故就職という経過をえて最終的に地元と仙台辺りに止まって就職したもの25名、東京・大阪・名古屋、北海道とあるがその近辺で就職したもの25名である。

 このうち、現在までに地元・仙台組で4名、その他組で9名が亡くなっている。交通事故等を除けば、地元組1名、東京その他組8名は職場の定年を迎えた後に亡くなっている。地元を離れた組の32%である。全体では、まだ平均寿命に達していないが26%が亡くなっている勘定であるが、聞いているかぎり悲惨な例は少なかったようである。

 我々の世代は、確認した限りでは最終的な職場となったもの教員8名、町村4名、電気・電力・ガラス・機械・印刷・出版・国鉄・郵政・金融・ホテル・大学・自衛隊合わせて24名、自営業者11名、その他不明が3名である。これらの内、教員・役場・電気電力・自衛隊等は当然ながら社会保障は完備しているが、自営業は長い経営実績のある4社は確認できるがその他は不明の3名と共に実態は不明であるが、ほとんどが老齢にいたって多い少ないはあっても年金と健康保険に依拠して過ごしている。我々の親の世代にはなかったことである。

 以上述べた、体験的な事例は今日のデータの上ではどのような意味を持つのかはわからない。ただ、入社時から現在の社会保障制度の中で過ごした筈の我々の人生でも、それほど夢のような時代を過ごしたわけではないということである。それぞれに時代を覆う問題はあって、掛け金に苦労して議論したり迷ったりしてきたわけである。それでも、というのは国民階保険といいながら未だに、その恩恵に預かれないものもいるのが現実である。保証制度は、あくまでも保証制度であるから保証される為の掛け金がなくては成り立たない。今の65才以上も、それほど豊かな時代を生きてきたわけではないのである。

 現在、我々が集まれば年金と健康保険料の話題がでるのは仕方がないが、我々迎えている時代はどのような時代なのか、改めて話題としてあるべきだろうという気はしている。 次号以下にのべる、ヨーロッパ、アジア、アフリカとの比較検討はその為の縁とすべきものである。

2010.12.22 田沼 
  
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by esapp | 2010-12-22 11:55